嬴政は、函谷関攻防()戦で自()らの才を証明してみせ、まもなく行われる成人()の儀式「加冠の儀」において、国内外に向け自らが「第31代秦王」である()ことを宣()言し、国の実権を取り戻すことを誓う。しかし、中華全土を巻き込んだ戦いは、攻め込まれた秦国も、合()従軍に参()加した国々にも大きな爪痕を残()した。
秦国では、混()乱に()乗じた内乱を()目論む者が現れる。さらには呂不韋が自身の野望達成のための最終段階へと動き出す。
国家存亡の危機を乗り越えた秦国に()、新たな波乱の兆しが見え始めていた――。
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